吉祥寺

もともとは神田駿河台にありましたが、明暦の大火(1657年)によって大部分が焼失したことをきっかけに現在の文京区本駒込に移されました。

江戸期の建物は1802年(享和2年)に再建された山門と1804年(文化元年)に基壇を残して焼失・再建された経堂が残るのみで、他は戦後再建されたものです。

1802年(享和2年)に再建された山門は本郷通りに面して建ち、両袖潜戸の付いた四脚門は本瓦葺と切妻造の屋根が本格的な構造形式による重厚さを感じさせます。これは本瓦葺きの仕様に青海波積みと輪違い瓦積みを組み合わせて葺かれ、屋根両端と降棟先端を鬼瓦で飾ることで特徴になっているからなのです。

 

また経堂は1778年(安永7年)基壇を残して焼失し、1804年(文化元年)にはその上に再建されたものが現存しています。

境内参道を染めんばかりに咲くしだれ桜は両側に植えられ、本堂に向かって左右両手にそれぞれ墓地があります。

ここには多くの著名人が眠っており、参道から左手に入ってすぐのところには二宮尊徳(二宮金次郎)と小説家の川上眉山の墓碑を拝むことができます。

 

墓碑の向かいには覆いかぶさる程の大きな桜の木があり、見上げると満開時期は桜の色でほとんど空の色が見えないほどでした。他にも江戸末期の幕臣、蛮社の獄で渡辺崋山などを取り締まったことで知られている鳥居燿蔵や、明治新政府で様々な役職を務め活躍した榎本武揚もこの地で眠っています。

また吉祥寺は曹洞宗の宗門で、随一の栴檀林を持っていたとされています。栴檀林とはもともと駿河台にあった頃に吉祥寺内に設けられていた学寮のことで、そこでは千人余りの学僧が学んでいました。ここでは内典は仏教、外典は漢学で教えており、漢学が重要視された江戸中期以降は、僧侶以外にも縁故のある旗本の子弟や寺侍に対しても門戸を拡げ聴講を許しました。

現在その跡は面影も残っていませんが、今の駒澤大学に発展しています。

所在地: 東京都文京区本駒込3-19-17