大久寺

以前は神奈川県小田原にあって大久保聚院(おおくぼしゅういん)と号していました。1592年(文禄元年)に小田原城主であった大久保忠隣(おおくぼただちか)が、本尊を十界曼荼羅としこの寺を開基しました。

その後、彼の次男が現在の三重県あたる伊勢亀山城主であった石川家の養子となったことをきっかけに、両家の菩薩寺になったのです。1630年(寛永7年)に大久保家が江戸詰になり台東区下谷に屋敷が移されたので、1904年(明治37年)に寺も今の土地へ移転されました。

 

 

また茂みの前にひっそりと置かれているものですが、本堂の正面に庚申塔の台石があります。擬人化された猿が浅い彫りで描かれていますが、珍しい構図をしており、向かって右の猿は裸で合掌をし、左は羽織を着て横を向き烏帽子を被り、で何かをしゃがんで担いだ姿をしています。かつてこの上についていた塔身が先にある日枝神社の神体となったといわれています。

墓地に続く道の途中、植込みの中で緑に囲まれた日蓮成人腰掛石が座っているように置かれていますが、これは伊豆法難の際の日蓮をあらわしたものです。

 

 

墓地には近年建てられたものと宝篋印塔などが混在しており、大久保・石川両家ともの墓地もあります。石川家の墓石の下からは墓誌が発見されており、これもまためずらしいかたちをしています。長方形の石を二枚、凸と凹のかたちにしたものを合わせるようになっていて、凹の方には❝このしたにはかありあわれみてほることなかれ(この下に墓あり 憐れみて掘ること無かれ)❞と現代変体仮名で彫られています。もう一方の合わせには表面にある名前の人の父母名と生没年月日が彫られています。この墓誌銘の様式が珍しいものなのです。

所在地: 東京都北区田端3-21-1