富士神社

今も昔も、富士登山に訪れる人は後を絶ちません。

古代より神体山として崇高の対象であった富士山は、中世に至るまでは山伏や修行を積んだ道者のみが入山を許されていました。

山岳信仰の対象として、仏教の影響を強く受けたその修行を通し、超自然の力を得ることを目標に新校舎が増え、関東地域で富士講(富士講社)が発生しました。

 

 

江戸期に入ると一般民衆の富士登山も自由にすることができましたが、女性は入山自体を禁止されており行くことはできませんでした。他にも子供や年配者など富士山まで行くことのできない人々がご利益を預かるために、溶岩を表面に張り付けた模型に登ったそうで、東京や近郊各地にもお富士さんと呼ばれる10メートルほど人工山がいくつも存在しています。

富士神社は旧本郷村にあたる現在の東京大学構内にありました。その一帯は本富士町とかつては呼ばれ、本富士警察署や上富士交差点など、随所に今も富士の含んだ名前が残っています。そこに加賀藩邸が建てられ、邸内に祀られていた浅間社が本駒込に移され現在の姿になったと伝えられています。

 

 

社は高い富士塚の頂上にあり、急勾配な石段で上がって行くそれは前方後円古墳の跡であったとも伝えられた説もあります。本物の富士登山の厳しさが再現されたようなその登山道跡が、神社の石段右手に現在もかたちを残されています。石段は普通に登っていても目の前に段が迫ってくるほどの角度で、降りる際には手すりを使わなければ普通の階段よりさらに狭い踏面を踏み外してしまいそうになりました。石段がなく登山道で登っていた頃は急斜面を足場も悪い条件で登っていたことを思うと、江戸の人々の富士山に対する信仰深さがうかがえるようです。

今日、境内では人の気配もほとんどありませんが、1614年(慶長19年)頃には境内に農作物や日用品、植木などの露店が立ち並んでにぎわっていた様子で、今は山開きの縁日でしか作られなくなった駒込の麦わら蛇が大変な人気で売られていました。蛇は水の神様といわれ、水害や水による疫病息災の効果があるそうです。

所在地: 東京都文京区本駒込5-7-20