渋沢史料館

今、次の一万円札の候補になって注目されている渋沢栄一は、現在の東京海上日動火災保険など数多くの企業設立育成に貢献した実業家です。飛鳥山公園の南に建つ史料館本館ではその生涯と実績に関する資料を展示紹介しており、ここには戦火を逃れ現存している晩香廬と青淵文庫も入れた、この三つの施設を一般公開しています。

渋沢栄一は、会社設立に尽力した王子製紙株式会社の工場を見守るために飛鳥山に邸を設けたといわれており、今も広い土地には緑が多く都会の喧騒から私たちを離してくれる空間になっていました。

若き日には尊王攘夷運動に燃え、その後幕臣への転身を遂げたのち徳川慶喜の命で渡ったパリで経験した様々なヨーロッパ文明がその後の彼に大きな影響を与えました。

実に500もの企業や銀行の設立や経営指導に尽力した軌跡を展示室では事柄ごとに分類し、公開しています。

維新政府時代や会社設立等の功績は有名な話ですが、中でも注目したいことは社会福祉にも力を入れていたことです。

設立された初期から養育院の院長として関わり、日本の医療・福祉支援をリードしました。大正12年から養育院の所在地となったこの場所は現在、高齢者医療のセンターとなって残っています。このように多岐に渡った活動とともに、彼の柔軟な思考と人間味のある人格が伺えました。

 

洋風茶室の晩香廬は現在の清水建設(当時は清水組)から贈呈されたものです。

かつて経営の危機時に支援や助言をし、その後も相談役として見守ってくれたことへの感謝として、樽材のテーブルとほぼ同じ高さで作られた火鉢や、そのほかの調度品もこの建物と併せて清水組から贈られたものです。また扉の蝶番や飾り鋲は手仕事で作られ、細かい場所に言葉で表現しきれない感謝の意が感じ取れます。

 

青淵文庫は竜門社(現・公益財団法人渋沢栄一記念財団)が贈呈したものです。

本来は書物の保管を目的に建てられたのですが、工事の途中で関東大震災を経験し、その震災で所蔵予定だった多くの書籍が焼失してしまい、完成後は接客の場としても使われました。1階のみ見学が可能ですが、曲線の美しい階段は立ち入れないまでも姿だけは拝むことができます。閲覧室の窓にはパッチワークのステンドグラスが目を引きました。送り主である竜門社にちなんだ両脇にいる昇り龍と降り龍は、復元されたカーテンに隠れ、壁の横にそっと移動して垣間見ることができます。

 

所在地: 東京都北区西ヶ原2-16-1